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法事の関係で、GWぶりに地元に帰ってきている。

前に大工さんの話を書いたが、この大工さんの小さな逸話を一つ紹介したい。

大工さんがある日、私の部活の集合写真を見て
「お姉ちゃんのとなりの子、ちょっと脆い子だね」と言ったことがある。


それは中学3年生ごろの出来事だが、私はバドミントン部に所属してた。

地区一番を争っていたのが私ともう一人、ナツミという女の子だった。

彼女は負けず嫌いで努力家だったが、精神のある一角がとても脆い女の子で、部活を中学3年生の秋に引退すると、
不登校だった不良児と付き合ってからまともに家に帰らなくなり、煙草を吸うようになり、のちに進学した高校を辞めてしまった。
若気の至りといえばその程度のもので、今は普通の女性だ。

ナツミは私に懐いていた。
ナツミと私は、いつも地区のシングルスではワンツーだったし、私たちがペアで組むダブルスも負けなしだった。
スポーツで育んだ信頼関係は強かった。

ナツミ社交的なほうではなかったので、部活の引退と同時に急速に変わりゆく彼女は、クラスでどこか腫れ物扱いにされるようになり、それがまた本人が悪いことをしてしまうことに拍車をかけていたのだが、
誰かを傷つけたりはしなかった。問題なのは自分を傷つける存在にはまってしまったことだ。


思い出したのは、今回、実家に帰って自分の部屋に飾ってあった部活の写真を見たからだ。
当然、ナツミも写っている。言わずもがなだが、ナツミのことなんか大工さんは知らない。

「写真は嘘をつかない」と例の大工さんは言った。

この時すでに、先の記事にも書いたような死んだ父と大工さんのアレコレがあってから、
彼の説明のつかない能力について完全に信じている頃である。


改めて書くと長いので省略するが、
「死者は喉が乾くから、お姉ちゃんの喉の渇きは代わりにされている。仏壇に水をあげなさい。遺影も変わってくるよ」と言ったのだった。


そこまで言われるとオカルトめいてきてしまう。

確かになにか悪いことをした日は怒っているように見えるし、何かをやり遂げた時に遺影を眺めると力強く笑っているようにも見える。たまに帰ると優しそうに見える。落ち込んでいる時は悲しんでいるようにも、見える。

が、それは私の心が映し出されているだけにほかならない。

私は零感だから、写真の変化などわからない。しかし大工さんの話は、ナツミとの写真の一件に裏付けられるように
たしかに変わっているのだろうとは思う。
見られている。こちら側の思い込みではなく、きっと実際に。

父を参るとき、いつも緊張する。釈迦や仏を前に嘘はつけない。
背筋を伸ばし手を合わせる時はいつも、父が首からぶら下がっていたあの映像を思い出す。

死んだ父に目を合わせ、胸を張って生きれていると笑えるだろうか。目をそらしたくなるようなことをしていないだろうか。
父の遺影がもし実際になにか変わっているとしても、私はそれを視ることはできない。

大工さんの言った「写真は嘘をつかない」といったのとはきっと違う。けれど、自分の心の陰影に合わせて父の表情が変わって見えるのは本当だ。

私は大工さんのその言葉に「自分の心に嘘はつけない」というのと重ねて、朗らかに笑う父の遺影を見る。
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明朝、四時前。

3年以上前の大学1年の上がりたて、夜中のアルバイトを始めたときはするっと昼夜逆転に順応できたが
18年間真っ当に昼活動してたにも関わらず、就活前に転じた昼のアルバイトに体が慣れることはなかった。
その真偽は知らないが、遥か古代まで遡り、夜警を担っていた祖先の遺伝子を継いだひとは夜型らしい。


『気取った本音』

と、いつかツイートしたことがある。
ここでの気取ったというのは対外的に見て、という意味であり、また間違いなく本音であるにも関わらず頻繁に使う言葉でないため、自身の耳にも気取って聞こえるという現象も内包する。

匿名のSNSアカウントを作ったことによって、私の中で最も解放されたのは、この『気取った本音』を吐露できるようになったという点にある。
また言葉の抑制から逃れることによって、その研鑽の機会になっていると言っても良い。
これは自分にとって、穏やかに見える僥倖である。

失ったものもある。

いつの頃からだろうかと遡ると、ここにもセックスフレンドの〈彼〉(今後も頻繁に出てくるので名前をジョーさんにしようと思う)との出会いにきっかけがあったかもしれない。

ジョーさんとの言葉の交わし合いは、常に慎重だった。最近では意識することもなくなったが、
最初の頃は、とにかく誤解なきよう、真意に近い言葉を探してひとつずつあてはめ、丁寧に渡しあった。メールのやり取りであろうと、直接のやりとりであろうとそれは同じで、等身大の言葉のやりとりはなんとも心地の良いものであった。

このころから、例えば大学の同期とうまくお喋りができなくなり、部活の先輩には〈コミュ障〉と言われた。(私の解釈する限りではここに嘲りはなかったと思う。親友の彼氏によるイジリに近い)

無論、彼らがバカだから言葉を理解できないとかそういう意味では決してなく、
ただ私が持つ、言葉への尊敬や熱量や、もっと言えば祈りの強さが、少し異質である。
これは自負だが、言葉そのものへの信仰は読書アカウント界隈においても非常に強い。と、思う。

それが、リアル生活において周囲の友人たちとのコミュニケーションの障壁となっている。

ただ、もとが快活な人格であればそんなものは置いておけるのだろうとも思うので、自分が元来暗いだけであり、ただの陰キャコミュ障という可能性は否めない。

けれど、言葉を好きになればなるほどなんだか社会と自分との間に薄い膜のようなものを感じるようになったのは確かである。

心の機微を言葉に起こそうと思えば、それが繊細なほど〈気取った〉表現になる。
けれど簡単な言葉に直せば、輪郭がぼやけ、真意から遠のいてしまう。私には、どうにもそれが受け入れ難い。

下手なたとえかもしれないが、普通の人が「東西南北」加えて「北東、北西、南東、南西」くらいの範囲で言葉を扱い、それがスムーズなコミュニケーションを生み出しているとして、
私は南南西、南南東、さらにその間に至るまで360度網羅し、最も的確な言葉を探していたい。

あるいは色に例えてもいい。

自分に何かを伝えている相手がグレーの、その中でも鼠色を伝えたいのに、灰色の語彙しか見つからずにモヤモヤしているのなら、私が鼠色を汲み取ってあげたいと願っている。

書いてみると本当に下手な例えで悲しくなる…
所詮私も、表現の幅はこんなものだ。

話は戻すが、そんな〈気取った本音〉を読書アカウントの界隈では受け入れられ、これは居(たい)場所を見つけたのとほとんど同じことで、
そのぶんやはり、リアルな生活が遠のいた気もするのだが、今の所それによって重大な支障はきたしていないので、よしと思う。

つくづく感じるのだが、進むことは捨てることと同時に起こっている。
決断とは、何を捨てるか選ぶことだ。捨てられぬうちは、足を取られて進めない

–と、思う。

(どうでもいい話だが、『〜と思う』『おそらく』『かもしれない』とつい書かずにいられないのは、何かを断定するのが苦手なのだ。
ブログの書き方がどうにもうまく掴めない。)

もちろんリアル生活を捨てたわけではない。
これでも最低限社会性や協調性は、持ち合わせているつもりである。


さて。
先輩に〈コミュ障〉と呼ばれる私の、言葉による表現の自由さは、おそらく彼よりは広い。
‥‥いや、疑問を持たないものに不自由などありはしないだろうか。難しいところだ。

長々と書いたが、
〈気取った本音〉が、〈気取っててうざい〉と(中には思ってる人もいるだろうけれど)言われずに解放できるというのはこの上なく幸福なことである。

村山由佳さんについてまたしゃべる。

一冊の本について長い文章にしたためることができるのは、
私のツイッターでも時折登場するセックスフレンドの〈彼〉も村山由佳さんの大ファンであり(二年前を始まりに布教)、
ああでもないこうでもないと、〈彼〉と感想を言い合うことができるので
好きな作家さん、およびその作品がより深まっていくからです。

嫉妬深いので、SNS上などで村山由佳さんファンというひととは一線引いてしまう。
私の方が好きなんじゃ!と謎の主張が顔を出してしまう恐れがあるためである。
ジャニーズやアイドルに傾倒したことはないが、私はきっと“同担拒否”のタイプだ。


カテゴリでは書評などと銘打っているが、
そんなたいそうなことはできないので、〈彼〉と感想を言い合ったことも交えて、
村山由佳さんの現在の最新刊『燃える波』について綴っていきたいと思う。


が、その前に。

以前ツイッターでも突然140字プレゼンをすることとなったが
村山さんの生み出す言葉には節々に、命あるすべてのものに対する愛が感じられる、ということを前述しておきたい。

命あるもの——だけではないかもしれない。

これは例の〈彼〉と事後、ピロートークでほぼ毎回のように村山さん談義になるのだが、その時にたどり着いた私たちなりの結論がある。
当然だがご本人がそのつもりかどうかはわからないから、あくまで独断であることを断っておく。

命あるもの。人間を筆頭に動物、植物などに対する愛というだけでは、まだ足りない。
たとえば、人が人を愛することに対する、愛。信仰へのある種の愛といえばいいだろうか。

けれど、もっと先をゆく。ここからは愛というより敬愛、敬慕、畏敬、畏怖となってゆくと思うけれど、
たぶん恐れてはいないから畏怖ではないかもしれない。上記の言葉の中からなら、敬慕が近いと思う。

命あるもののみならず、目に見えない力、人知の及ばない力などがこの世界にはあると思うのだけど、
命あるものとこれらを含めて、〈彼〉と私の二人は「循環するもの」ととりあえず言葉に置き換えた。

村山由佳さんが見ている世界の、「循環するもの」に対する敬慕。

たとえば、水から土へ、土から木へ、命へと循環していくもの。そこからさらに派生する、命から命への繋がり。
そうしたいわば「摂理」を村山さんは五感で感じ、実感として感じられないものが仮にあったとしても信じ、
等身大の感受性で筆を動かすことで
ただごとではない描写からなる小説の数々を生み出している。

村山由佳さんは恋愛作家か。
初期作品「天使」のシリーズや「おいコー」シリーズのときには、そうだったかもしれない。
私はそのあとからの作品を最初に読んでいるので、村山さんを誰かに紹介するときに「どんなの書く人?」と問われると困ってしまう。
恋愛作家、と紹介すると「恋愛か〜あまり読まないんですよね」と敬遠してしまう人も多いので、
まてまてまてぇーい!と引き止めたい。そんな人にこそ読んで欲しいのだ。
ちなみに〈彼〉は、生粋の司馬遼太郎のファンであり、恋愛小説は手に取ったことのない歴史小説の読書家だった。

そんな〈彼〉のお気に入りは「遥かなる水の音」と、あろうことか、めくるめく官能描写が連続する「ダブル・ファンタジー」である。

初見の人にどのように紹介すれば正しくプレゼンできるか、
いまだに答えが見つからない。何も言わずに「ワンダフルワールド」を押し付けておく。
ちなみに村山由佳といえば「ワンダフルワールド」!というわけではないのだが、
これは短編であるし、言うなれば村山由佳さんの名刺となる作品だと私は思っている。

ところで最新刊「燃える波」。(以下ネタバレ含む)
村山由佳さんの作品にはしばしばモラハラ夫が登場するのだが、今回のモラハラっぷりもすごかった。
これも村山さんの凄いところなのだが、小説を読んでいるというよりむしろドラマを見ているような真に迫りっぷりなのだ。
文章を読んでいて、つまずくことがまずない。映像としてありありと目に浮かんでくる。

ラジオ番組の収録から始まる物語では、まさにラジオを聴いているようなところからスタートさせてくれる。
物語を読むというより、中にいるようなリアルな感覚なのだ。
作中で「声だけなのに、テレビ番組よりも親密」といった趣旨のことが書かれているが、深夜、何か作業をしながらラジオパーソナリティの声が聞こえてくるような錯覚を起こすほどである。

話がそれたが、モラハラ夫の話である。

今作の滑稽さはスゴかった。

主人公で妻である帆奈美を散々その支配下で苦しめ、最低限夫婦としての礼儀や尊敬を放棄。
自身の浮気まで妻のせいにして、愛人には子どもまで身篭らせ、最後には妻に縋り付き、突き放されるとついには発狂する始末。
絵に描いたような(というと妙だが)最低な男だった。

そんな仕打ちを受けながらも帆奈美は自分の力で最後立ち上がるが、男は違った。やがて帆奈美に子どもの存在を指摘されると
散々泣き喚いたあとに(きっとなっさけない顔をこちらに向けて)、「そこなんだよ、どうしたらいいかな?」と一言。
器の小さい20そこそこの小娘である私には、最高に気持ち悪かった。男の情けなさや滑稽さを許容できるほど、まだ大人になれないらしい。

完全に帆奈美に感情移入してしまい、最後、どのようにこの最低男をコテンパンにやっつけてくれるのだろうかと期待したのだが、
さすがは大作家村山先生だった。
さあ、やっつけてしまえ!とどこか高揚さえしていた私とは(当たり前だが)違い、帆奈美の答えはこうだった。
「せめて生まれてくる子供のために、しっかりしなさい!」

愛があったのである。

ちなみに〈彼〉は、
「でも、これは最低なモラハラ夫と帆奈美(そしてそれを生み出す村山さん)との、人間性の格差が出る対比でもあるから
元夫に対する毒もあるかもしれませんよ」と述べていた。なるほど、そういう見方も確かにある。

けれど最後、離婚のあれこれの際の元夫の描写でも彼は謝罪を口にしていたし、人物を描く上でやはり愛があるのが村山さんだと思った。
もし、この元夫のモデルとなる人物がいるのならば、村山由佳さんはその人物を許しているのかもしれない。ここは完全に想像だが。


細かい話だが、「燃える波」というタイトルも、どこかチープな感じがしていい。大作家先生だからこそ、単純さを映えさせることができると思う。


〈未熟なのではなく、未知数〉
〈いい仕事の妨げになる存在は——邪魔だな。〉カリスマ的大女優の、これらのセリフもよかった。
村山由佳さんが過去に言われたことがあるのか、彼女の中から生まれてくる言葉なのか、気になるところである。



本は〈彼〉に貸し出ししているので細かいセリフなどは違っていると思うが、また深夜の勢いで長々と書いてしまった。

「もう、村山由佳さんが好きなのはわかったから……あなたテスト前でしょ」と心の中でもう一人の自分がため息をついている。が、諦めて去った。




一週間ほど蝦夷梅雨とやらが続いています
この日本で今晴れ間の見えているところはあるのでしょうか。
昔読んだり観たりしたお伽噺って、こどものころに観たものっていう印象があって、
すりかわって子供騙しなものって私は思いがちなんですけど、
改めてかんがえてみると七夕伝説ってけっこう素敵なお話ですよね。

さて。

ブログ用

読書垢、みなさん真面目なんだなあと思いました。わたしは人の好きな作家とか作品あまり興味ないので、
あと自分が所属している界隈のことどう思ってるんだろう……と下世話な興味をもっていたりするので、
読書垢界隈についてが多数になるかなあと思いました。まあ僅差だけど
わたしとしては好きなもののことを書けばいいのでやりやすいんですけど、

どうせなので大いに布教活動させていただきたいと思いますね!


〈 好きな作家・作品について 〉

私は圧倒的に村山由佳さんが好きです。熱狂ファンです。なので彼女の作品についてが中心になると思いますが、
できるかぎり興味を持ってもらえるように簡潔に書いていければと思いますね〜〜(簡潔に出来るかな〜〜)

私もずいぶん前に読んだ本とかあるので、とりあえず本棚から出してきました。
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惜しいなーあの有名な〈おいコー〉シリーズとか、ここにない何冊か、絶賛布教活動中で今人に貸してるんですよね
口頭説明になりますがこのへんも紹介していきたいんですね

ひとくちに村山由佳さんといっても、たとえば小説すばる新人賞の〈天使の卵〉およびシリーズ四作品や、
〈おいしいコーヒーのいれかた〉シリーズなどから、ここ最近の作品ではかなり違ってきていて、
それを支持するファンや読者層もかなり違うと思います。

私はどちらかといえば後期作品のファンで、〈おいコー〉シリーズなどはあまりぐっと来なかったりしているんですが、
初期のファンのひとたちは、「最近、村山由佳ってどうしちゃったんだろう……」という反応を見せています。

ここまで書いてなんですが、独断と偏見に満ちているのでそのつもりで読んでもらえると幸いです。
ただ、めちゃくちゃファンなので参考にくらいはなると思っております。。。


村山由佳さんは「恋愛小説家」というイメージが一般的で、これは最初の頃の〈天使シリーズ〉や
〈おいコー〉シリーズだとそう言えます。
とっつくやすくて、セックスや愛憎みたいなものがどろどろしていない
綺麗な恋愛作品。

いわゆる「お涙頂戴」系、「感動する!」という作品が好きな人たちは、
このあたりが好きだと思います。 たとえば、最近だと、佐野徹夜さんや住野よるさんファン、というかたには、
〈おいコー〉はちょっと多いので、〈天使のシリーズ〉がおすすめです。


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『天使の卵』⇨『天使の梯子』⇨『天使の柩』の順番で、『ヘブンリーブルー』は物語に沿った
スピンオフみたいな感じなので、読まなくても大丈夫。
また、1作品ずつ完結しているので、どれかだけ手に取っても物語はわかります。


天使のシリーズやおいコーシリーズは、私は最近の村山さんの作品を読んでから
『ファンたるもの』という強い意志で過去作品も読んだけれど、ぐっとこなかった……最近のが好きだ……
と思っているので、いわば管轄外。ここから本番です。

***

村山由佳さんは確かに恋愛作家だけど、それだけではとくに最近では言い表せなくて、
顕著なのは今年の3月に観光した『風は西から』
この作品なんかは完全に社会派小説になっていて、恋愛要素はほとんどなく
過労自死の真相を恋人と家族が追い、大手居酒屋チェーンを相手取って闘う、というお話です。

本人は(たぶん)明言していませんが、下敷きは十年ほど前(?)のワタミ過労自殺事件になっています。
物語もほぼまんま。もちろん〈実話をもとにしたフィクション〉でしょうから、小説は小説ですが
ニュースを見るよりも考えさせられます。
ご本人は政治的な立場をとるような発言は控えていらっしゃるけれど、
最近の「働き方改革」に合わせて刊行した部分もあるんじゃないかな、と思います。

ワタミの社長は自民党の参議院議員ですね。
村山さんはきっと強く思想を持っていると思いますが、小説を通して社会に訴えかける姿勢、作家の鑑だなあ、と思います。

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ところで、たとえば「おすすめの作品教えてください!」とツイートしたときに、
リプライ10くらいきたうち、全部はなかなか買うまで至らない。
この本買ってみようかな、と思うのは、〈こうこうこういう作品ですよ〜〉っていうざっくりした説明と、
その作品を“私に”どうして今教えてくれたのか、というところだったりします。
「どろどろした恋愛読みたい」とか、「気になるけどどれから入っていいかわからない」とかその人のニーズを考えて
いちおう考えます。


というわけで私が村山由佳さんどれ読んでいいかわからねー!っていう人におすすめしたいのは、
〈 ワンダフル・ワールド です

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ひとつは、短編だから。
もうひとつは「ここ最近の」村山さん作品のベースとなるもの・色が詰め込まれているのがこれかな、と思うからです。

村山由佳さんの最大の特徴(独断)かつ私がもっとも尊敬している点として、
『命の尊厳を描いている』のが彼女の作品。刊行の裏側に 3.11 東北大震災があります。

かといえ震災のことを主として描いているわけではないので、重さは全然はありません。

うまく言えないんですが、普段は無意識下にある感情の機微ってだれにでもあって、
たとえば、恋人に「ブス」とかって面白半分でからかい続けられると、最初は笑って流していても
あまりやられると小さくイラっとするようになる、みたいなことあると思うんですが、
「笑って流していられる」ところから「うざいな」と思うようになるその瞬間を取り出して書いてのけるのが
村山由佳さん。

私の拙い語彙では、彼女の素晴らしさを伝えることができないのがもどかしいです。

以下は引用。昔別れた恋人と会うことになり、東北の森林を二人で散歩し、セックスをしたあとの描写。

〈 腕と脚を私に巻きつけたまま、やがて健やかな寝息をたて始めた彼の隣で、私も目を閉じる。
  まぶたの裏側に木漏れ日が透け、木々の葉にさっきまで眺めていた町の人たちの写真が重なる。
 
 近く夢と、遠ざかる現(うつつ)のはざまで私は、自分の身体から何本もの新芽が生え、光へ向かって帯びてゆくのを感じた。おそろしいほどの昂揚と快感だった。 〉



 愛した人とのセックスのあとの描写を、身体から新芽が生えて伸びてゆくだなんて書ける人は、村山さんしかいないだろうと思いますね。

 
 「ワンダフルワールド」は比較的ライトで、ファンタジーがちょっとだけ顔を覗かせたりしていて、
上記のようにセックスの描写もあるし、でもどろどろしていないのでとっつきやすいと思います。
ぜひここから入ってみてほしい。そして村山ワールドに太ももまで突っ込んでもらえたら嬉しい。


***


あとは私の好みの話になります。

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『遥かなる水の音』(表紙の好みで文庫買っちゃった)
『ダンス・ウィズ・ドラゴン』

大好きな二作。何度も読んだのに、読むたび発見がある。※重大なネタバレあり

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〈 遥か深くを流れる水の音と一体になって、懐かしいひとたちのもとへ帰る。——還る。〉

村山さん作品ではしばしば〈死者〉〈輪廻転生〉〈前世〉といった概念が登場しますが、
わざとらしさや不自然さがゼロ。
大切な人をなくしたひとの救いになる部分はあるんですけど、「きっとお空から見守ってるよ」みたいなことではないんですよね。

これは〜ワンダフルワールドだったかな、著書の一節に

〈 そう——生と死とを分かつ境界線は、人が思うほど太くない。死は、つねに生のすぐそばにある。 
  けれど、それは同時に、こうも言い換えられはしないだろうか。 
  死せる者は、生ける者のすぐそばに在り続けるのだ、と。 〉



私なんかは霊感みたいなものはないと思うけど、父が死んだ後、彼が寝ていた部屋へ向かう足音を聞いていた時期があったり、このブログにも書いたように、死した人の喉の渇きを感じていたりしたことがあったから
こういう考え方がすっと落ちてきたのもある。

遥かなる水の音と、ダンスウィズドラゴンの二作、タヒチと真珠や宝石がテーマに敷かれた恋愛小説「ありふれた愛じゃない」、イルカと音楽が題材となり、ストレスで声を出せなくなった少女の話「青のフェルマータ」
ちょっとどろっとする「ラヴィアンローズ」は大人の恋愛小説として、それぞれ万人ウケすると思う。


最近WOWOWでドラマ化した『ダブル・ファンタジー』とその続編の『ミルクアンドハニー』は、半分(以上)自伝的な小説だと思うので、村山さんファンでなければ若干入って行きづらいかもわからない……
ダブルファンタジーはずいぶん叩かれたらしい。ガンガン不倫するからかな。わかんないけど。

どろどろした恋愛小説で読みやすいのは『ラヴィウアンローズ』『花酔ひ』あたりかと思う。


彼女の描く最近の恋愛作品は必ずといっていいくらい「不倫」するけれど、そこに至るまでの経緯とか、
その先にあるものとか、またそれを倫理的に制すことができる第三者的立場の存在があって、
いわゆる“ポルノ”にならないのが、村山作品。

また、たとえば『ありふれた愛じゃない』はシャーデーの歌だったり、『風は西から』もそうですね、明日は、きっといいぜ〜のあの歌。
『ミルク・アンド・ハニー』は旧約聖書の〈乳と蜜が流れるところ〉。約束の地ですね。その前のダブル・ファンタジーはジョンレノンとオノヨーコのアルバムからきているはず。
『ラヴィアンローズ』はフランス語で薔薇色の人生という意味ですが、作中では愛憎の末、殺人がおきます。ぞくぞくっ

こんなふうに、タイトルにひとひねりあるのも彼女の作品の魅力。実在の音楽なんかがあると親近感が湧きますよね。

***


まとめると、

感動する作品が好き!どろどろは苦手!というひとは『天使シリーズ』
とっつきやすくて面白いの!というひとには『ワンダフルワールド』『ありふれた愛じゃない』『青のフェルマータ』、
ここに幻想やファンタジー要素を+した『遥かなる水の音』『ダンスウィズドラゴン』もおすすめ。
大人の恋愛小説なら短編で『アダルト・エデュケーション』、さらに『ラヴィアンローズ』『花酔ひ』


このどれかでハマったら、最近の『嘘』や『ダブルファンタジー』『ミルクアンドハニー』もいいと思います。


***

どっこも簡潔にならなかった……もっと書こうと思えば書けるんですが
さすがにもうやめておきます。気になったらリプライかDMください。めっちゃプレゼンするんで……。

ドロドロしたものがほとんどない初期の「恋愛小説家」村山由佳さんは、ご自身の色をどんどん濃くされ、

今度は戦前の婦人解放活動家(最近の言葉でいうならフェミニスト?)である、
「伊藤野枝」さんについての小説を書くと仰っていました。

今年の刊行はなんと決定しているだけでも4冊。長編小説ですよ……なんて勢い……。
今後もますます注目して行きたいと思います。歴史小説もちょっと好きなKuroなので、
伊藤野枝さんのお話がとても楽しみです。


以上でした。感激のあまり涙ドバー(´༎ຶོρ༎ຶོ`)した講演の時の写真おいておきます。笑ってください。

読んでくれている人時々いるみたいなんですけど、コメントとか拍手もらえたらちょっと喜びますので
ポチってしてほしいです!!
ではおやすみなさいませ!!!読んでくれた人ありがとうございました

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こんなくだらないことをいう人でも自殺するんです。世の中不思議ですよね。


こんばんは。2年くらいのあいだ時々お会いしている、いわゆるセフレみたいな人がいるんですけど
その方が突然「お父さんの話聞かせて」と言ってきた

父の話、というとやっぱり先に出てくるのは悲しい話なんだけど、
それを察してかその方が「前に聞いた話がおもしろかったから。お父さんのお友達の話」

ああ、そういうのか、と思った。

父の友達の話というのは——

 
私たちが住む社宅一帯というのは、
工場含む広範囲を雑木林でかこまれ、壁一枚で遮断された2階建ての一軒家に
2世帯が住む構造になっており、その一軒家が何軒も並んでいる。
人工芝と社宅が規則正しく並んでいて、領域には公園があったりしたので
同年代のこどもが自然と集まって雑木林の中の領域でよく遊んだ

父の友達というのは同僚のミキさん(男性)といい、
ベランダから見える人工芝でよくゴルフの素振りをしてるひとだった。

それが見えると父はわたしたち兄弟3人に、
「ミキさんにあいさつしてこい」という。
父の意図としては、同僚へのちょっかいである。

私たちがミキさーん!とかけていくと、ミキさんは「おいノブ、おまえ、またか」と仕方なさそうにした。
言いながら毎回駄菓子をくれるオジサンだった。

(余談だが、父のうつが悪化した頃、父は部下のミスをかぶって降格かなんかしたということもあったらしく、
父の一回忌のとき、その部下二人に『ノブの一回忌だぞ、お前ら、いってこい』と言ってくれたという漢気あふれる人である)


——という話をセフレの(大沢たかおに似てるので以下)タカオさんにしたのは確か、一緒にお風呂に入った時のことだった。

この方、私よりもふた回り近く年が離れていて、
父は生きていたら56歳とかなので父よりは12歳くらい年下にはなるけれど、
私からみると年齢的にお父さんという感覚の人ではある。
父のイメージが40代で止まっているというのも理由の一つかもしれないけれど。


タカオさんが私の体を洗ってくれるのだけど、足の指を間を洗ってくれているときにふと思い出し、
ついぽろぽろ話してみたことがある。
父とお風呂に入っていた幼少の記憶。

お風呂のふちに手をついて、足をあげて指の間を父もよく念入りに洗ってくれてた。
体の内側から懐かしさがこみあげてきて、ちょっと泣きたくなったりして、むしろ幸福感に満たされた。

「あぁ……よくそうやって洗ってくれたんですよ。『ここが大事なんだぞ』とか言って。懐かしいな」

すっぽんぽんで人肌に触れているから、というのもある。
このとき、本当にあたたかい気持ちになったんだけど、幸せっていうのは往々にして、他人からは容易に理解されない形でそこにあるものなんだな、と思った。


と、その話から冒頭のミキさんの話になったことがあったので、
それからまた「お父さんの話なんかない?」と聞いてきたらしい。

なんかあったかな、と考えてみた。
思い出したのは、小学校の運動会のこと。


運動会や学芸会があると、母がよく、うなぎの蒲焼の巻おにぎりを作ってくれたのだけど、
これは上の弟のりょうへいが好きだった。

弟がこればかり食べるから、父は茶化したくなったらしい。
それでこのくそくだらないひとこと。「お前それ、中身うんこだぞ」

弟大泣き。けらけら笑う父。不安になってきた私。呆れる母。

改めて考えてみれば、今もうなぎがやんわりと苦手なのはここに理由がある気がしなくもない。

この話をしてみると、タカオさんはツボに入ったらしくあんまり笑うので、私もだんだんおかしくなってきた。
その裏側でなぜか切なさもこみ上げて泣きそうになったりもした。

タカオさんが「唯さん、その話エッセイにしてみてくださいよ。おっかしい、はーおっかしいなあ」としきりにいうので、してみた。
エッセイって読んだことないからどういうのかわからないし、タカオさんはこのブログのこと知らないけど。


あの家のことを思い出そうとすると真っ先に父が首を吊っている映像が出てきてしまうし、
父の話というと=自殺の話を考えてしまうので、
あの家と父との、楽しかった時の思い出を思い出させてくれたセフレのタカオさんには密かに感謝している。
彼にそんなつもりはないのだろうけど。